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私の一言   MY SHORT TALK
 
 物部康雄   YASUO MONOBE  
  私の視点(平成25年9月2日)


48.東京オリンピック招致

2013/09/18




47.私の視点

2013/09/02



46.世界遺産登録

2013/07/24




45.犯罪被害者給付金

2013/07/17




44.ハンバーガー1個
   で東名高速が
   通行止め?

2013/07/08




43.A chain is as
   strong as its
   weakest point

2013/06/24




42.手抜き工事

2013/05/15




41.父の思い出

2013/03/29




40.経済は一流、
   政治は二流

2013/03/14




39.官僚の裁判官では
   裁判は無理

2013/02/25




38.結局は趣味の違い?

2013/01/31










先週の土曜日に、朝日新聞の「私の視点」という欄に、祭りの会についての投稿記事が掲載された。字数に制限があるので、説明不足にはなってしまったが、取り敢えず、新聞の活字になったことは、大きな進歩だと思いたいのだが、反応があまりに低いので、相当まいっている。「自分のやっていることは、需要がないのか?」と、自信喪失気味である。ただ、せっかくの機会でもあり、投稿に際して作成した、その土台となった長めの文章があるので、ここに掲載しておこうと思う。私の真意がより直接的に表現されている。

(私の視点)
「投票に行って、日当1万円をもらおう」
祭りの会代表 物部康雄

前回の参院選の投票率は、無効票を含めて、52パーセント強であったらしい。ということは、投票所に行ったかどうかは別にして、約半分の人が選挙を「棄権」ないし「ボイコット」したというのがその実態であったようである。ちなみに、地方選挙では、3割を切ることも少なくない。そして、毎回、毎回、「投票に行きましょう。国民としての責任です・・。あなたの一票で・・・」といった啓蒙活動がなされている。でも、過去何十年間、一時的な上昇はあっても、投票率は下落傾向が続いていると思われる。これまでの啓蒙活動は、言葉としての響きはいいが、実質あるいは結果は、全く伴っていない。その意味では、飾り的なのである。恐らく、そうした啓蒙活動を一切やらなくても、投票率には何の変化もなかったはず、と思われる。

それに、そもそも、投票に行かない人は、よく言われるように単なるさぼりなのではなく、「投票したい人がいない。無責任に投票したくない」から行かないのであり、今のままで、仮にこの人たちが投票所に足を運んだとしても、その投票はほとんど白票となってしまうわけであるが、投票を呼び掛ける啓蒙活動なるものは、そのようなことを期待しているのであろうか? それとも、誰でもいいから適当に票を入れてくれることを期待しているのであろうか? いずれにしろ、変な話である。

実は、投票率が悪いのは、多くの人にとって投票したい人が立候補していないからだと思われるのだが、問題は、投票したい人に立候補させるためには、投票率が高くなければならないという矛盾が生じていることにあるように思われる。この悪循環を本気で断つためには、投票を強制(罰金制)するか、啓蒙ではなく、はっきりとしたメリットを与える必要がある、と思われる。そして、この二つの中では、メリット(インセンティブ)を与える方がいいというのが、私の意見である。政治は、祭りごとと言われるように、皆が楽しむべきものと信じている。ごちそうやお酒が似合うのであり、罰金で強制するのでは、結果が同じ高投票率でも、その意味あいが全く違うと思っている。ところが、不思議なことに、投票を強制している国は結構たくさんあるのに、インセンティブを与えている国は、まだ、ないようである。どうも、インセンティブ=金銭を与えるという発想は、どこかタブー視されているのである。そんなことを話すだけで、何か卑しさが漂うようなのである。

でも、この卑しさという評価が曲者である。多分、今、投票に行っている人のうち、その半分程度の人は、政治や候補者とは何の利害関係がなくても、主義主張で特定の人に投票している立派な人達なのであろうが、残る半分程度の人は、主義主張というより、もっと明確な個人的利害関係から投票先を決めていると思われる。その利害関係の種類や濃さにはいろんな違いやレベルがあるであろうが、要は、自分にもっとも得になりそうな候補者に投票するわけである。しかし、今のように個人の役割が分業化した社会では、直接的に政治との利害関係をもたない人が大半となってしまっており、この政治との利害関係のないあるいは極めて薄い多数者に、主義主張だけで候補者を選ばせ、投票所に行かせるというのは、至難の業である。ましてや自分の好きな候補者が見当たらない現状では。

そして、利害関係がなくても投票に行くのがあるべき姿で、行かない人はさぼりのごとくに色分けするのも、どうも、不自然である。単純に考えて、利害関係のない多数者の半分以上が投票に行っていないのに、その人たちをダメ人間のように言うのは、どこか、おかしい。むしろ、投票に行く人達こそ、出来過ぎた人たちであり、その方が不自然と考える方が自然なのである。私が昨年6月に立ち上げたフェイスブックページのスローガンは、単純である。「投票に行って、1万円の日当をもらおう」ということである。そして、選挙を、その本来の姿であるお祭りにしたいとの思いから、この運動に「祭りの会」というタイトルをつけている。これが実現すれば、投票率が99.9パーセントになることは、間違いない。その意図は、皆が投票したくなる人物に立候補させる環境を作るためであり、また、相対的に特定のグループの利益だけを考える候補者の当選を拒むためでもある。でも、このフェイスブック運動は、全く受けが悪い。1年以上も経つのに、いまだに「いいね」の数は16にしかならない。何故?

答えは二つある気がする。一つは、今の低投票で得をしている人が政治や社会の中心におり、極端に言えば投票率が6割以下であることが前提で世の中が回っており、その環境を壊されたくないということ。この人たちは、啓蒙活動が何の意味もないからこそ、啓蒙活動を盛んに呼び掛けていることとなる。もう一つは、先ほど述べた、出来過ぎる人たちの存在である。投票権は、その昔、ごく一部の人のものだった時代から、徐々に広がって、今の日本では年齢以外には何の制限もなくなっている。しかし、現実的には、利害関係がなくても投票に行くという高貴な心構えの持ち主にならなければ投票所にまで足が向かないのであり、これは隠れた選挙権の制限があるようなものである。どうも、このかっこいい制限をよしとする知識人が多いようであるが、私はこの制限を取っ払って、選挙をもっと身近なもの、本当の意味での普通選挙、にしたいわけである。

民主主義は、普通の人が、選挙を通じて、ひょっとすると偉いかもしれない人を選ぶものだと思っている。皆が偉い人になる必要はない。そもそも、そんな世の中は、気持ちが悪い。今のような啓蒙活動の結果、もし投票率が90パーセントを超えたりしたら、私は、ぞーとする。それに比べて、1万円を支払うこととなったら99.9%になったというのは、とても微笑ましい。

選挙は、皆が参加するお祭りであるべきで、利害関係者と出来過ぎた人たちのためにあるのではない。そして、1万円は、いわば、お祭りのために皆が税金という形で普段から積み立てておいたお金を、お祭りの日に引き出すようなものである。いやしいどころか、全く合理的である(実際的にも、1万円の支給は確定申告や年末調整で対応すればいい)。こう言っても、これまでの反応からして、ほとんどの賢明な読者が反対するのであろうと思うが、出来すぎる人・偉い人より、普通の人の方が多いはずなので、その人たちに私の呼びかけが届くことを期待している。

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