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私の一言   MY SHORT TALK
 
 物部康雄   YASUO MONOBE  
  ヒバ林物語−その後(26年3月27日編)


131.ヒバ林物語−
その後
(26年4月28日編)

2026/4/30



130.ヒバ林物語−
その後
(26年3月27日編)


2026/3/31




129.ヒバ林物語−
その後
(26年2月26日編)


2026/3/5




128.ヒバ林物語−
その後
(26年1月30日編)


2026/2/18




127.ヒバ林物語−
その後
(25年12月26日編)


2026/1/5




126.ヒバ林物語−
その後
(25年12月8日編)


2025/12/9




125.ヒバ林物語−
その後
(25年11月10日編)


2025/11/13




124.ヒバ林物語−
その後
(25年10月20日編)


2025/10/20




123.ヒバ林物語−
その後
(25年9月26日編)


2025/9/26




122.ヒバ林物語−
その後
(25年8月27日編)


2025/9/12




121.ヒバ林物語−
その後
(25年8月8日編)


2025/8/8




120.ヒバ林物語−
その後
(25年7月23日編)


2025/7/23




119.ヒバ林物語−
その後
(25年7月2日編)


2025/7/2




118.ヒバ林物語−
その後
(25年6月16日編)


2025/6/19




117.違法勾留の
責任の所在


2025/6/12




116.ヒバ林物語−
その後
(25年6月2日編)


2025/6/2




115.ヒバ林物語−
その後
(25年5月16日編)


2025/5/16




114.ヒバ林物語−
その後
(25年4月30日編)


2025/4/30




113.ヒバ林物語−
その後
(25年4月18日編)


2025/4/18




112.ヒバ林物語−
第2部 その11:
係争が守った
日本一のヒバの森
第2部 その12:
下北半島・佐井村・牛滝


2025/4/15




111.ヒバ林物語−
第2部 その9:
平成の巌窟王
第2部 その10:
今頃になって分かった
明治の分筆の真相


2025/4/14




110.ヒバ林物語−
第2部 その7:
林班制度
第2部 その8:
全てを語る牛滝の字界図


2025/4/14




109.ヒバ林物語−
第2部 その6:
明治の図面に
昭和の測量技術


2025/4/11




108.ヒバ林物語−
第2部 その5:
土地台帳付属地図の欠陥?


2025/4/11




107.ヒバ林物語−
第2部 その4:
後戻りできない裁判へ


2025/4/10




106.ヒバ林物語−
第2部 その3:
所有権をめぐる
投資家と林野庁の対立


2025/4/9




105.トランプ関税

2025/4/8




104.ヒバ林物語−
第2部 その2:
間違われた移転登記の
その後


2025/4/7




103.ヒバ林物語−
第2部 その1:
昭和の疑惑の移転登記と
明治の不可解な分筆登記


2025/4/4




102.ヒバ林物語−
第1部(ヒバについて)


2025/4/2




101.ヒバ林物語
(係争が守った日本一の
ヒバの森)


2025/4/1




100.交通事故における
疑わしきは罰せず


2025/3/24




99.疑わしきは罰せず

2025/3/19




98.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―補筆
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2025/3/17




97.人命の価格

2025/2/10




96.さらに公然の秘密
(自慢話)


2025/2/4




95.チンドン屋さん
―その2


2025/1/29




94.第三者委員会
という儀式


2025/1/23




93.チンドン屋さん

2025/1/22




92.人手不足

2025/1/8




91.もう一つの公然の秘密

2024/12/5




90.ヒバ林の会

2024/12/2




89.わけの分からぬ
家族信託―その2


2024/9/27




88.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載14
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/9/3




87.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載13
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/9/3




86.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載12
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/9/2




85.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載11
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/8/22




84.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載10
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/8/9




83.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載9
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/8/5




82.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載8
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/7/26




81.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載7
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/7/22




80.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載6
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/7/16




79.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載5
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/7/3




78.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載4
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/6/18




77.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載3
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/6/5




76.和をもって貴しとせず
ーその2


2024/6/3




75.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載2
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/5/24




74.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載1
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/5/14




73.スポーツ賭博

2024/3/22




72.公然の秘密
(幻の日本一のヒバ林)


2024/1/12




71.公職選挙法違反

2023/1/25




70.悪い奴ほどよく眠る

2021/5/27




69.和を以て貴しとせず

2021/3/16




68.神々の葛藤

2021/3/1




67.パチンコ店が
宗教施設に


2021/2/12




66.日米の裁判の差

2021/1/22




65.ネットでの中傷

2020/10/23




64.素人と専門家

2020/7/29




63.税金の垂れ流し

2018/2/26




62.区分所有建物の
   固定資産税

2017/7/28




61.わけの分からぬ
家族信託


2017/3/8




60.呆れるしかない
広島訪問


2016/5/31




59.さらば民主党

2016/3/28




58.越後湯沢の惨状

2016/3/7




57.権威を疑う

2016/1/25




56.年間200億円

2015/12/15




55.小仏トンネル

2015/8/6




54.18歳で選挙権

2015/4/20










26年4月1日
「少し見えてきた気がする樹齢の謎」
役所で最も大切なルールは前例を踏襲することであると聞いたことがあります。よほどのことがない限り前例に反するようなことはしないのが役人としての務めであり、又、それにより身を守ることとなります。その掟に照らすと、5年ごとの森林簿作成に際して平気で樹齢を10年以上も引き下げる下北営林署(森林管理署)の態度は不可解の極致です。前回の森林簿の記述がどれほど正しいかはともかくとして、そこに記載された樹齢に5を足して処理すればそれで済むはずのところを何を考えてわざわざ下げるのか、訳が分かりません。この虚偽記載には何かはっきりした目的・必要性があるはずなのです。

一月以上もこのことを考え続けて、ようやく少し気が付いたことがあります。それは、この不可解な樹齢の操作はヒバの伐採期に関係しているのではないかということです。意外だったのですがヒバの伐採適齢期は樹齢200年から250年程度とされているようなのです。これまで私は漠然としてですがヒバという木は成長が遅くとても長生きする木と思っており、その様なヒバがまさかその程度の年月で伐採適齢期になるとは思っていませんでした。それより若いとまだ成長過程にある木とされ、それを越すと長生きのヒバと言えども徐々に老齢化が始まるようなのです。下北営林署は、牛滝のヒバがそうした伐採適齢期に達していないという形作りをするために、致し方なく前例踏襲の掟に反してまでまたそもそも不可思議な樹齢の若返りという操作までをするしかなかったのではという疑いです。少なくとも公式の書面上では「牛滝のヒバはまだ伐採時期に達していません」との形作りをしたかったのではないかと推測するところです。

この推理についてはさらなる調査が必要であろうと思われますが、少なくとも3月6日の投稿でお知らせした昭和44年度と平成10年度のヒバの若返りは、当面の間は牛滝のヒバの伐採期が来ないように樹齢を操作したに違いないように思われます。では何故そんなことまでして伐採期を先延ばしする必要があったのかという疑問が生じることになりますが、その説明を次回にしたいと思います。


26年4月6日
「目立たぬように、目立たぬように」
裁判が継続していたころの牛滝のヒバの大半はその実年齢が既に300年以上になっていたところです。そのような希少なヒバが伐採されて市場に出回れば、大きな話題になり、当然ですが、このヒバ林に関する民事・刑事の裁判も大きくクローズアップされることとなります。営林署としてはそれだけはどうしても避けたかったはずです。話題になればなるほど、真相が暴露される可能性が大きくなるからです。「酒代のような対価でよそ者が莫大な資産価値のある牛滝のヒバ林の取得を目論んでいる」として村人や営林署職員に事実上のかん口令を敷き、裁判を有利に進行させ最高裁でも勝訴していても、そのヒバ林のことが広く一般に話題になればどこでどのように隠された真相が外に漏れるか分かりません。恐らく一番の心配は営林署内部からの真相の告発だったでしょう。そして、話題になれば、今はすっかりおとなしい地元マスコミも動かないわけにはいかないでしょうから、それも怖かったはずです。そうしたリスクを少なくするためには、伐採を出来る限り先延ばしにして牛滝のヒバ林が話題になることを最小限に抑え、そのための役所内部でのつじつま合わせとしては森林簿での樹齢の記載を一定の年数以下に抑えるしかなかったということであったように思えます。

「そんな嘘をついてもいつか必ずバレるに決まっている。それなのにどうして」という疑問は当然あると思います。少なくとも不可解な樹齢のことがバレるのは時間の問題であるのはその通りと思われます。しかし、営林署の幹部・関係職員にとっては当面の間、あるいは自身が関わっている間、それが表面化しさえしなければそれでいいということになるはずです。もっと言えば、いつどこでどのように真相がバレてその時に何が起こるかは運を天に任せるしかないとの判断・心境だったのではないでしょうか。そうでないと犯罪行為になることを覚悟してまでこんなインチキはできません。それは、また、それほどまでして隠したい秘密・真相があったということを裏付けているように思われてなりません。


26年4月9日
「何故、令和まで虚偽表示を続けるのか?」
樹齢を常に200年以下にした理由が牛滝ヒバ林のヒバが伐採するには若すぎるという形造りをするためであったのは間違いないと思うのですが、何故、それを裁判が完全に終わり年号が令和に変わるような頃まで続ける必要があったのか、よくわかりません。つい最近取得した令和5年度の森林簿によりますとヒバの樹齢は160年とされています。こうしてみると平成10年にその前の回の森林簿の樹齢である158年から大幅に若返らせて130年にした後は、判を押したように毎回5を足して樹齢を決めてきていることが分かります。何となく感じるのは、「これ以上樹齢をいじる(若返らせる)のはやめよう。これからは毎年ちゃんと年をとるようにしよう」と決めたもののように感じます。それでもヒバが伐採適齢期の200歳になるのは令和45年であり西暦で言えば2063年ですから、関係者は全員が退職してしまっている頃となり、めでたしめでたしの判断のように感じられます。

それに、考えてみれば、それ迄150年程度だった樹齢をいきなり300年やそれ以上の数字にするのは、それこそ前例無視であり、怖くてできなかったという単純だが致し方のない事情もあったはずです。

以前、このヒバ林の処理に手を焼いていた林野庁は時機を見て民間に払い下げて縁を切ることを模索していたと言いましたが、自身でやるにしろ民間にやらせるにしろ、このヒバが伐採されて市場に出回ればきっと大きな話題になり、牛滝のヒバがとんでもない上等のヒバであることがバレてしまうはずで、それはとりもなおさず「何故こんな上物のヒバがこれまで伐採されずにすんだのか」との疑問を生じさせるはずと思われます。結局は、年を経ても切るに切れない状況にあることに変わりがなかったということになりそうです。正規の裁判が最終的に終了したのが平成12年頃と思われますが、その後も令和3年ごろまで私が平成の巌窟王を呼ぶ森本操氏の不服裁判が繰り返されており、最高裁判決からは30年近くがたち、タブー化されているとはいえ、常に問題の火種が残っており、ヒバを伐採すると何が起こるかわからない怖さがあったものと思われます。

あとは、森林簿のような地味な資料をわざわざ見ようとする者は役所の外にはいないであろうと期待するしかなかったでしょう。事実、その期待は50年近くも裏切られなかったということになりそうです。彼らのねらいはうまくいっているようだったのです。そんな時に、私がそこに疑問を持つことになったのかもしれません。


26年4月13日
「裁判対策だけでは説明ができない」
先日昭和24年と34年の森林簿を取得しました。残念ながら29年の森林簿は所在不明ということで入手できませんでした。先日お知らせした森林簿の数字と似たり寄ったりの樹齢が記載されていました。ただ、24年度は50−170と記載があり、見方によっては、当時の方が樹齢が高かったこととなりますが、それでも実際の樹齢に比較すれば若すぎるところです。これらの資料から、昭和40年代に裁判が起きるより前の時代から意図的な樹齢の不実記載がなされていることが明らかなところです。そうなると、樹齢の操作がヒバの伐採時期を意識したもの、より具体的には伐採を先延ばしにする理由づくりであったこと、は間違いないと思われますが、それが単に裁判対策や裁判結果に世間の関心が向くことを避けるためだけではなかったと認めざるを得ません。闇はさらに深いようです。それで、改めて戦前の森林簿を東北森林管理局に開示を求めることにしました。私としては、そこにヒバの樹齢がどのように記載されているかにとても関心があるところです。昭和後期と同じように150年前後の数値が記載されているのか、それとも実態に近い300年程度の数値になっているのか、興味津々です。

ところで、このフェイスブックで番外編と称して思いつくままにあれこれ投稿を始めてからちょうど1年になります。意味のなさそうなことも、この森林簿のように重要な情報も混在した投稿となっています。何とか牛滝のヒバ林が世間の認知を得られるようにこのまま続けたいと思っています。


26年4月16日
「大河原化工機冤罪事件に接しての感想」
樹齢問題に的を絞って投稿を続けてきましたので、ここで何の関係もない話題を挟んで一息入れたいと思います。最近話題のこの事件は、報道によりますと冤罪事件に絡んで(ことによるとすべての刑事事件に関して)裁判所・裁判官の責任追及で賠償請求をするというのは歴史上初めてのことのようです。私は、以前から、この種の問題の根源は裁判所がだらしがないからだと言い続けています。警察は犯人らしい人物を逮捕するのが仕事であり、検察官は犯人らしい人物を起訴しその立証をするのが仕事ですから、多かれ少なかれやりすぎとなる案件は避けられません。そうした警察や検察官ににらまれた人の身分の適正な保護は裁判所にしかできないところです。もっと言えば、無罪案件がほぼなかったり、勾留請求がほぼ却下されないというのは、検察官がその対象を絞り過ぎているか、裁判所がさぼり過ぎているかなのであり、いずれにしろ制度が機能していないことの証明です。裁判官は「犯人らしいが証拠が弱い」と思えば迷わず無罪判決をすればよく、それは犯人を逃がしたのではなく、証拠がなかっただけのことで何の問題もありません。もっと無罪判決が出るのが本来刑事司法が適正に機能していることの証拠になるはずです。そうです、ある程度の割合で犯人が野放しにされることが必要なところです。同じことが勾留請求にも言えます。神様でもない限り、犯人扱いされている人が真犯人かどうか、その人が証拠を隠滅するかどうか、は分かりません。ましてや事実認定に弱い今の公務員裁判官にそのような難しい判断を強いるのは無理というものです。はっきりと証拠隠滅の恐れが立証されない限り勾留を否定すればそれでいいのであり、その結果証拠の隠滅がなされても、それは十分な説得力のある証拠を提示できなかった検察の力不足であり、止むを得ません。そして、この際、裁判所の判断に対しては批判をしないというこれまでのマスコミの一般的な姿勢も改められるべきでしょう。相手が誰であり自分が信じる見解を表明しないのであればジャーナリズムの名が廃れます。また、これでは優秀な裁判官を育てられません。プロ野球の審判と同じなのですからもっと批判の目で見てあげる必要が大ありです。

それと、本来「無罪判決」というのは言い過ぎています。無罪もあれば単に証拠不足に過ぎないケースもあるわけですが、その両者を区別することはできませんし、刑事裁判のあり方としては本質的には区別しようとしない方がよさそうです。というわけで、無罪という言葉の呪縛を解き、「罪を問えず」とか「放免」という言葉に代えることもこの際必要であろうと思われます。

ところで、賠償責任の主体は国でありその支払いは税金で賄われることとなりますので、今回の賠償請求事件がどこまで本格的な裁判になるかは分かりません。それでも、原告が期待するように、惰性に流れた刑事裁判実務に大きな一石を投じたのは間違いないところです。何かいい変化のきっかけとなることを期待したいと思います。


26年4月21日
「令和5年度の森林簿が示す興味ある事実」
4月9日の投稿で令和5年度の森林簿につき触れましたが、その際は樹齢の数値だけをお知らせし、リンクはつけませんでした。その後、改めてこの森林簿を見ていてある興味ある事実に気づきましたので、遅まきながら下記リンク先をお知らせします。

 http://monobelaw.jp/material90043.pdf

この年度から様式が大きく変わっており、又、用紙も大きくなってとても見やすくなっています。その中ほどに、林齢と並んで胸高直径と樹高の欄があります。林班は多くの小班に分かれており、2327林班では小班「ろ」がヒバの主要生育地とされています。そこに、直径が36cm樹高が22mと記されています。これを何度も触れています昭和10年の毎木調査表と比較するととても面白いことが浮かび上がってきます。毎木調査表でも直径36cm樹高20mのヒバの記載がありますが、全体から見るとごく少数の比較的若いヒバで、その当時においても大半のヒバは直径50cmを越しています。私がとても興味を覚えるのは、樹齢というのは厳密に知ろうとすると難しさがあるようですが、直径や樹高はかなり簡単に客観的に確認ができるという点です。森林簿の不実記載をこの面から明らかにできないかと感じているところです。参考までに、改めて毎木調査表のリンク先を下記お知らせします。

    http://monobelaw.jp/material90039.pdf

この際ですので現地に入りヒバの大きさが分かるような写真を撮るように坂井さんに依頼しており、それが手に入ればお知らせします。また、ここまで来ると2年後の令和10年の森林簿がどのように樹齢やその他のことを記載するのか興味があります。


26年4月24日
「県林政課のフェイスブックに投稿」
昨日、青森県林政課のフェイスブックに下記の投稿をしています。

 下北半島の佐井村を流れる牛滝川の上流に江戸時代より前に南部一族が植樹に関わったと思われるヒバの美林があります。昭和10年の岩泉町森林組合の毎木調査によれば約5万本が林立しているそうですが、何故か世に知られていません。日本一のヒバ林と思われますので、調査をお願いしたいと思います。

昨年7月に数回にわたる投稿でこのヒバ林にかかる林地台帳に関して詳しく触れていますように、青森県林政課は字牛滝川目130番1が堂の上にある1万坪の山林との林野庁の主張やそれを支持したと思われる裁判所の判断に懐疑的な判断をしており、いまだに同地番の土地を係争地・所在不明の土地(堂の上にあるのか石山沢にあるのか不明?)として林地台帳を作成していません。本来は所有者に疑義があっても林地台帳は作成されるべきものなのですが、あえて踏み込まないようにしていると思われます。見方によれば孤軍奮闘している私の応援団でもあるわけです。役所仲間の間柄であるのに何故そんなことが起こるのかと言いますと、林野庁がそもそもあまりに無理筋な主張を裁判という狭い世界で通してしまったのが間違いだったというところでありましょう。そのため、同じ役所仲間から見捨てられているということになりそうです。

ただ、そうした明確な見解を有していても、自分の県にある天下一のヒバ林が隠されたままでいることに何一つ有効な手を打てないというのはどうしてなのか、不思議でなりません。それで今回の投稿となった次第です。


26年4月28日
「樹齢の過少申告は営林局を欺くためだったか?」
東北森林管理局から戦前の森林簿を入手することが出来ました。リンクの回数制限もありますので、取りあえず判明した樹齢のみ下記の通りお知らせします。ただ、様式が違っており、明治41年度から大正元年度までの間の分、大正2年度から大正12年度分及び大正13年度から昭和8年度分の各期間にかかる森林簿となっています。又、他の時期(昭和9年度以降)のものは署内を捜しても見つからなかったとのことです。

  M41年〜T元年   記載が不明
  T2年〜T12年   130年
  T13年〜S8年   130年

これらの数字をどう理解すべきか迷います。そもそも戦前は一定の期間につき森林簿が作成されていたということのようなのですが、そこでの数値等がその「期間」にどう対応するのかさえ不明です。ただし、戦前から牛滝のヒバの樹齢は130年程度で森林簿に記載がなされていていたのは間違いがないようです。そうなると、坂井家との権利関係の折衝中であったその当時において何故にヒバ林の樹齢を実際より若く記載する必要があったのか、分からなくなります。どうやら、この牛滝のヒバ林に関する坂井家との係争については佐井営林署は上級庁(多分、青森営林局)にほぼ何の具体的な情報も上げておらず、営林署限りの判断で折衝を進めていたであろうと推察が出来そうに思われます。といいますのは、当時は127林班とされていた牛滝のヒバは坂井家との緊張関係があり長らくヒバの伐採が出来なかったところですが、それを「(坂井家と)係争中だから伐採が出来ません」と上級庁に素直に説明をしないとすると、何か別の理由(少なくとも表向きの辻褄合わせ)が必要になります。樹齢のごまかしはそのために発案されたもののように思われます。恐らく、牛滝のヒバ林に限らず地区内での個々の伐採の判断はほぼ完全に佐井営林署の裁量に任されていたのでしょうから、仮に石山沢のヒバが国有林ならその伐採を通常よりも遅らせるには樹齢でごまかすのが一番簡単だったのでしょう。また、戦前は私人との交渉と言っても、非公式に営林署と坂井家が話し合っていたのでしょうから、そうした交渉事について営林局はあまり関わっていなかったものと思われます。それで「(すでに伐採適齢期なのに)何故、あそこのヒバを切らないのだ」と上級庁から言われないように、どうしても外形を繕う必要があったものと思われます。さすがに、樹齢400年と記載すると、上級庁からあれこれ突っ込まれてまとまる話もまとまらないという面もあったと想像されます。土地の境界問題あるいはヒバ林に対する権利関係につき私人との間でどう処理(手打ち)するかは地元営林署の腕の見せ所、と言ったところだったのかもしれません。

すでに何度もお話しています昭和10年の岩泉町森林組合の毎木調査票によれば、当時ですら300年〜400年の樹齢のヒバが大半だったのですから、昭和8年に樹齢130年のヒバがたった2年でそんなに年を取るわけがありません。どちらかが嘘を言っていることになります。万が一森林組合の毎木調査票が虚偽記載であれば、私は大恥をかいていることになりそうです。なお、これまでよく地元の営林署のことを下北営林署と呼称していましたが、同名の営林署はなく、地元の営林署は佐井営林署となります。その後平成のある時期に下北半島の営林署が全て統合されて現在の下北森林管理署となったそうです。


以上が4月28日編




























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