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私の一言   MY SHORT TALK
 
 物部康雄   YASUO MONOBE  
  ヒバ林物語−その後(25年10月20日編)


124.ヒバ林物語−
その後
(25年10月20日編)

2025/10/20



123.ヒバ林物語−
その後
(25年9月26日編)


2025/9/26




122.ヒバ林物語−
その後
(25年8月27日編)


2025/9/12




121.ヒバ林物語−
その後
(25年8月8日編)


2025/8/8




120.ヒバ林物語−
その後
(25年7月23日編)


2025/7/23




119.ヒバ林物語−
その後
(25年7月2日編)


2025/7/2




118.ヒバ林物語−
その後
(25年6月16日編)


2025/6/19




117.違法勾留の
責任の所在


2025/6/12




116.ヒバ林物語−
その後
(25年6月2日編)


2025/6/2




115.ヒバ林物語−
その後
(25年5月16日編)


2025/5/16




114.ヒバ林物語−
その後
(25年4月30日編)


2025/4/30




113.ヒバ林物語−
その後
(25年4月18日編)


2025/4/18




112.ヒバ林物語−
第2部 その11:
係争が守った
日本一のヒバの森
第2部 その12:
下北半島・佐井村・牛滝


2025/4/15




111.ヒバ林物語−
第2部 その9:
平成の巌窟王
第2部 その10:
今頃になって分かった
明治の分筆の真相


2025/4/14




110.ヒバ林物語−
第2部 その7:
林班制度
第2部 その8:
全てを語る牛滝の字界図


2025/4/14




109.ヒバ林物語−
第2部 その6:
明治の図面に
昭和の測量技術


2025/4/11




108.ヒバ林物語−
第2部 その5:
土地台帳付属地図の欠陥?


2025/4/11




107.ヒバ林物語−
第2部 その4:
後戻りできない裁判へ


2025/4/10




106.ヒバ林物語−
第2部 その3:
所有権をめぐる
投資家と林野庁の対立


2025/4/9




105.トランプ関税

2025/4/8




104.ヒバ林物語−
第2部 その2:
間違われた移転登記の
その後


2025/4/7




103.ヒバ林物語−
第2部 その1:
昭和の疑惑の移転登記と
明治の不可解な分筆登記


2025/4/4




102.ヒバ林物語−
第1部(ヒバについて)


2025/4/2




101.ヒバ林物語
(係争が守った日本一の
ヒバの森)


2025/4/1




100.交通事故における
疑わしきは罰せず


2025/3/24




99.疑わしきは罰せず

2025/3/19




98.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―補筆
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2025/3/17




97.人命の価格

2025/2/10




96.さらに公然の秘密
(自慢話)


2025/2/4




95.チンドン屋さん
―その2


2025/1/29




94.第三者委員会
という儀式


2025/1/23




93.チンドン屋さん

2025/1/22




92.人手不足

2025/1/8




91.もう一つの公然の秘密

2024/12/5




90.ヒバ林の会

2024/12/2




89.わけの分からぬ
家族信託―その2


2024/9/27




88.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載14
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/9/3




87.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載13
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/9/3




86.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載12
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/9/2




85.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載11
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/8/22




84.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載10
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/8/9




83.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載9
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/8/5




82.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載8
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/7/26




81.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載7
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/7/22




80.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載6
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/7/16




79.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載5
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/7/3




78.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載4
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/6/18




77.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載3
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/6/5




76.和をもって貴しとせず
ーその2


2024/6/3




75.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載2
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/5/24




74.公然の秘密―続編
罠にはまった裁判―連載1
(日本一のヒバ林の
隠された謎に迫る)


2024/5/14




73.スポーツ賭博

2024/3/22




72.公然の秘密
(幻の日本一のヒバ林)


2024/1/12




71.公職選挙法違反

2023/1/25




70.悪い奴ほどよく眠る

2021/5/27




69.和を以て貴しとせず

2021/3/16




68.神々の葛藤

2021/3/1




67.パチンコ店が
宗教施設に


2021/2/12




66.日米の裁判の差

2021/1/22




65.ネットでの中傷

2020/10/23




64.素人と専門家

2020/7/29




63.税金の垂れ流し

2018/2/26




62.区分所有建物の
   固定資産税

2017/7/28




61.わけの分からぬ
家族信託


2017/3/8




60.呆れるしかない
広島訪問


2016/5/31




59.さらば民主党

2016/3/28




58.越後湯沢の惨状

2016/3/7




57.権威を疑う

2016/1/25




56.年間200億円

2015/12/15




55.小仏トンネル

2015/8/6




54.18歳で選挙権

2015/4/20










25年9月29日
「リリコ」
一週間前に、リリコが亡くなりました。昨年9月に我が家に来てくれ、それから1年間考えられないような愛くるしさを家族に与えてくれました。保護犬として引き取った際既に10歳ほどだと聞かされており、それほど長くは一緒に過ごせないだろうと覚悟はしていたのですが、あまりに急で、短く、未だに家族の誰もが受け入れられません。聞くところでは、繁殖犬として過ごし最後は道ばたに捨てられていたとのことですが、そんな暗い過去を微塵も感じさせないような天真爛漫さとちょっぴりのわがままさを振舞いてくれました。何もかもが愛しいです。特に、妻には「ストーカー」と言われるほどにまとわりつき、片時も離れようとしませんでした。家族の一員であることを心から楽しんでくれたと思います。本当に、心の通いあいを感じていました。葬儀を済ませ、骨壺が居間においてありますが、リリコの心は何処に行ったのか、と思ってしまいます。あれほどの愛らしい心がなくなるということがどうしても理解できません。いつまでもこんな気持ちではリリコに悪いと思いながら、断ち切れないところです。

肉体的な死と精神の関係というものは永遠のテーマなのでしょうが、私には昔よく時間を使ってあれこれ考えそして遊んだ数学の実数と虚数の関係に似ているように思えてきます。リリコの精神は、実数の世界を離れて虚数の形でどこかで生き続けているのでは、と思ってしまうのです。リリコ、さようなら。

今日は、全くヒバと関係のない投稿となります。


25年10月1日
「迫力に乏しい日本一」
普通は、日本一と言えばそれが何でありそれなりに世間にアピールするはずですが、このヒバ林の日本一に限ってはその影の薄さは否めません。ヒバという木がローカルで、ヒノキの2番手扱いを受け、その上に官の木であることから地元ですら今一つ人気がないのが困りものです。そのせいで、「日本一」に迫力が伴いません。これが石山沢は日本一の砂金の小川、ということであればあっという間に世間に広がるのでしょうが、類まれなヒバの森というだけではそうはなりません。経済価値ではどうやら100億円は下らないようなのですが、所詮そのような話では世間受け致しません。「今のアンタッチャブルな状況は林野庁の破廉恥な罠によって作られたもので、林野庁は自縄自縛で身動きできないでいる」と言ってみても、今一つ世間様の関心を呼ばないようです。私が知る限り、このヒバ林にネット上で関心を示された林業関係者はお一人しかおられません。何とも人気のない状況が続いているわけです。ことによると、かつてそうだったように林野庁の無言の圧力に林業関係者が今も自主規制しているのかもしれません。8月8日の投稿で触れましたように、地元林業関係者はこのヒバ林をかつての山林窃盗事件になぞらえて「盗伐山」と呼んでおり、そこにとんでもないヒバが、樹齢400年・500年というヒバが、何も言えずに佇んでいることを知っているのです。しかし、誰もそれを声に出そうとしません。アンタッチャブルというよりタブーなのです。ジャニーズ事件とよく似ています。もちろん、東北森林管理局も見ざる・言わざる・聞かざるです。

「係争が守った日本一のヒバの森」と題してこのヒバ林物語をフェイスブックで初めてから早10か月、事件の一応の説明を終えて今の番外編に入ってからでも5カ月がたっており、SNSとしての威力の無さを思い知らされています。唯一の期待は、私のネット記事を何時か誰か著名な人物が取り上げて世に拡散してくれないかということです。ただ、そんな奇特な人がいるのか、そこが心配です。「噂の真相」を懐かしく思いだすゆえんです。


25年10月3日
「喫茶店」
SNSは特定のテーマについてではなく、発信者が日々自由に投稿するのが本来の姿のようですので、このヒバ林物語のようなものはそもそもが異端なものであるようです。最近は、あれこれヒバにまつわることを週に2・3回、番外編と称して続けてきましたが、さすがにそのタネも尽きてきました。かといってSNSはやめると忘れられるということですので、これからは、ヒバと関係のない取り留めないつぶやきを交えることにさせてください。もちろん、どこまでも公然の秘密である牛滝のヒバ林が主体ですが。たまたま、先日リリコの投稿をしたこともあり、ここで少し路線を変更いたします。これからも、よろしくお付き合いください。

ということで、今日は、喫茶店につきつぶやいてみます。つい先日のことですが、オフィスのカギを忘れてきてしまい、まだ誰も来ておらず中に入れないので同じビルにある喫茶店で時間をつぶしました。近ごろはやりの外資系のお店ですが、早朝であったことからか、全員が一人客でした。最近は喫茶店に入ることがほとんどないので、驚いたのは、スポーツ新聞を見ていた私と同輩であろう一人の紳士を除き、全員がパソコンかスマホに向かっていたことで、誰の話し声もしません。これが今の喫茶店か、と妙に感心しました。昔、喫茶店は商談や雑談をしたり、一人のときはタバコを吸ってひと時の憩いを得るところだったのですが、今はまともに作業をする場所になっているようです。そういえば、昔の喫茶店は二人づつの対面席が基本でしたが、今はほとんどが一人用の席の配置になっています。変われば変わるものと驚きました。


25年10月6日
「ここまで来たのか、ほったらかし」
私が牛滝のヒバ林に行ったのは令和2年の春ですから既に5年がたっています。その時は、沢からの登り口にいかめしい立入禁止の看板がありました。また、そのころまでは下北森林管理署の職員が良く見回りに来ていたとのことです。ところが、その後は様子が変わり、立て看板やゲートが朽ち果てても、森林管理署は何もせずにほったらかしにしているとのことです。以前は、係争地として厳重に管理していたのでしょうが、係争地と言わなくなった以上、何のための立入禁止なのか訳がわからなくなり、ほったらかしにするしか仕方のない流れになっているようです。日本一のお山が林野庁のお荷物になっていることが手に取るように分かります。ただ、少し前にお伝えしましたように今年はクマの出没が頻繁で立入禁止の看板をかけなくても誰も入れない状態になっているようです。これまでは係争に守られたヒバ林ですが、これからはクマに守られることになるのかもしれません。


25年10月8日
「変貌した渋谷の街」
中学の修学旅行を除き、初めて上京したのが大学受験でその時に泊まったのが渋谷でした。ふらっと渋谷の駅の方に歩いて行き、さて宿に戻ろうとしたらどの坂を上っていくのか分からなくなり焦ってしまったことを思い出します。また、地下鉄が百貨店のあるビルの3階に突入しているさまを見て、とても驚いたことも鮮明に記憶しています。その後も長らく私にとっては渋谷が一番身近な街でした。それが、しばらく前から渋谷の街の大改造とやらで、電車の乗り換えは難しくなり、よく行っていた東横百貨店もなくなり、すっかりご無沙汰していました。先日、ちょっとしたことで渋谷警察に行く用ができ、オフィスに行く前に渋谷で久しぶりに電車を降りて行ってみました。行きは路面に出て昔ながらに明治通りを歩いたのですが、帰りは少し新しい街を勉強しようと思い地下道を使いました。びっくりしたのは時刻が通勤時間だったので、まるで一方通行のように人の流れができており、私だけがそれに逆らって歩くこととなりました。通路の両脇にお店があるわけでもなく、確か広告表示もなかったように思います。殺風景なのです。あるのは道路標識のような案内標だけで、無機質感丸出しです。一体これは何を求めてなされた大改造だったのか、と疑問が湧きました。私には渋谷の街の半分ほどが半ば死んだように映りました。


25年10月10日
「どこかの市長のラブホ騒ぎが羨ましい」
最近のテレビや雑誌でお騒がせなのは、どこかの女性市長の部下とのラブホ騒ぎでしょう。これが普通に男性市長の一件であれば、これほど長く視聴率や話題を稼ぐことは出来なかったはずです。こと視聴率・宣伝効果という意味では彼女はとても得をしているわけです。翻ってこのヒバ林物語はサッパリアクセス数が増えません。要するに人気がないわけです。


アクセスを得るにはやはり何か耳目を集めるものが必要です。何か世間の人が興味を惹かれるもの、インパクトを与えるものがいるわけです。ヒバ林物語にはそのインパクトが欠けているということなのでしょう。確かにテーマが地味ですから、利害関係でもないとアクセスする気にならないというのも無理はないと私自身が妙に納得してしまいます。何か手を打たないといけないと感じていますが、その何かがなかなか見つかりません。女性市長のように世間の注目を集めるような規格外れなことをするわけにもいかず、困ったものです。


ただ、このフェイスブックは広報目的とともに、真相の世間への提示・提供という使命がありますので、以前に触れましたドサ回りの演歌歌手ではありませんが、アクセス数に関係なく続けることが運命づけられているところです。


25年10月14日
「警察行政の問題」
少し前のことですが、午後5時ごろに住宅地の道路から信号に従って環八を右折しようとしたところ、パトカーに追跡され停止させられました。何事かと思ったらその交差点はちょうどその時刻の頃だけ右折禁止だったようで、悔しいのですが反則金を支払わされることとなりました。何でこんなところを右折禁止にするんだと、憤懣たらたらです。

実は、問題はその後でした。しばらくして警視庁から通知が来て、「貴殿の違反は認知症が疑われるので臨時の認知症検査を下記の場所で・月・・日の・・時に受けろ」という命令です。何だ、これは、と思わずにはおられません。また、警察行政が金のために高齢者を食い物にしている、と直感しました。

鮫洲の試験場に行ってみると、小さな部屋によく似た年齢の人が十数名集められました。皆、同じような目にあった方々なのでしょう。検査に先立ち、申し訳なさそうに担当官が、「私は・・・自動車学校の職員で、委託を受けてこちらの検査の実施をしています」と白状しました。何のことはない、警察職員の再就職先の一つである自動車教習所に売上げを上げさせるためにこのような意味のない臨時検査をしているわけです。多分、鮫洲だけで年間1千万程度の売り上げにはなるでしょう。何故なら、検査費として1050円支払わされたからです。通知書には対象となる違反項目がたくさん書かれており、ご丁寧に「これらの違反は認知症が疑われます」と書かれていましたが、私が知るように違反はすべ対象項目として網羅されており、事実上高齢者が違反すると全員がアウシュビッツではないが自動車試験場送りになるようです。ちなみに当日の検査では全員が無事に試験を通過しました。

近ごろ、こうした警察行政のひずみが目に余ります。そうでもしないと他の役所に税金を取られてしまうという競争意識が裏にあるからなのでしょうが、この悪循環を何とか止めて欲しいものです。昼夜を問わず熱心に捜査にあたっている刑事の仕事ぶりも知っているだけに、今のような行政組織としての警察のあり様が残念でなりません。


25年10月15日
「都知事のカイロ大卒業疑惑との共通点」
このヒバ林疑惑に少し似ているのは、小池都知事のカイロ大学卒業疑惑かもしれません。表向きは大学あるいは大使館筋から肯定的な発表を得られているようですが、普通はあるはずの同時期の留学生または同年度の学生からのもっと積極的な後押し・説明が一切ないようです。それでは疑われても仕方がない気がします。その当時に日本人の女性がカイロ大学を卒業したというのはかなりの快挙でしょうから、現地の日本人社会で相当な話題になったはずと思われます。彼女の性格からしても、ご自身で積極的にそれをPRをされていておかしくないところでしょう。私自身、どこの学校の卒業証書もちゃんと管理していないのでそれをすぐに出せと言われると困るのですが、少なくとも友人・知人が後押ししてくれるはずと信じています。そうした動きが全くないというのは、普通に考えると不思議な話となります。林野庁も、「最高裁で確定している」というだけで、何故このヒバ林だけが木を切られずに200年近くの年月が過ぎているのかにつき何ら積極的な説明をしようとしません。よく似ているのです。

考えてみると、都知事のような重要ポストにかかる疑惑ですら明白な黒の証拠がない限り今のような見ざる聞かざる言わざるで対応するのがマスコミの体質だとすると、たかが日本一のヒバ林ごとき、それも本当なのかどうかはっきりしない、が林野庁を敵に回してまでマスコミに取り上げられると思う方がどうかしているのかもしれません。ただ、一寸の虫にも五分の魂、何の拍子にマスコミが注目してくれるかもしれませんので、諦めずにフェイスブックを続けるつもりです。


25年10月17日
「何かがおかしい」
私がこのヒバ林のことで最初に相談を受けたのは、実は牛滝の坂井家からではなく、字牛滝川目130番という地番の土地をその登記名義人から購入しようとした投資家の人たちでした。彼らからこのややこしい過去の係争話を聞き、また、旧土地台帳付属地図を見せられて、いくら何でも石山沢の横にあるはずの山林が2キロメートル以上も離れた牛滝部落の北側にあるとする昭和の判決は不自然すぎるだろう、との感触を持ちました。と、同時に、あえてそのような判断を裁判所がしたのには何かはっきりとした理由があったはずでありそれが何かが問題と感じたところです。付属地図を基に字牛滝川目130番と云う地番の土地所有者になろうとしていた人たちは、過去の裁判は林野庁の怪しげな官民境界査定図を鵜?みにしており、付属地図を正しく評価していないと訴えていました。確かにその主張には大いに賛同できるのですが、何故付属地図に真っ向から反するような主張を林野庁・営林署がすることが出来たのか、そしてそれを裁判所が受け入れざるを得なかったのか、という本質的な疑問に対する答えが用意されていませんでした。その後、相談を受けていた投資家グループがことを前に進められず、私もこの件から身を引く流れになりかけたのですが、事件の裏に相当奇怪な事実が隠されているとの直感があり、その興味に引き込まれてついつい深入りしていったという流れがあります。その根っこには、裁判が片付いたのにそのような素晴らしいヒバ林が全く世に知られていないという不自然さがありました。何かがおかしい、との直感です。少し脱線ですが、その当時私の八ヶ岳の山小屋のベランダが雨と雪でだめになり、取り換えの必要に迫られていました。その時、ヒバという木がとても丈夫で特に雨や雪に強いことを知り、「できるなら、ヒバでベランダを作り直したい」と思ったことも、結果的にこのヒバ林事件への関りを深めた一因になったようなところがあります。残念ながら現実にはその夢はかなわず、ごく一般的な木材で修復を終えました。少し長くなりますので、続きは週明けに投稿します。


25年10月20日
「何かがおかしい−続き」
令和2年の4月に牛滝で坂井家の人たちと会うこととなり、坂井家こそが本来のヒバ林の権利者であることをほぼ確信しました。その後は隠された裁判のからくりを暴くことに夢中になった次第です。謎解きゲームと格闘していたら、林野庁・営林署の仕掛けた罠の正体が分かったというところです。その際に、長野の小林さんと岡部さんに大変お世話になりました。私が謎解きに3年近くを要したのですから、このフェイスブックを読んでくださっている読者の方がなかなか話の筋を理解できないのは、致し方ないと思っています。そこでお伝えしたいのは、私の疑問の原点となった「戦前の富国強兵政策や戦後の産業振興の名の下に、下北や津軽のヒバが伐採に次ぐ伐採により半死状態になったのに、何故、このヒバ林だけは無傷で明治維新以来今日に至っているのか」という不可解な事実です。この不可解な事実を解明することが結果として罠の実態を明かすこととなります。別の表現をすれば、林野庁の言っていること(明治以来このヒバ林に関してもめごとは一切ない)が本当だとすると、何故このヒバ林が今日まで無傷で残されているのかの説明ができないのです。そして、その不可解さを示す象徴的な出来事が、このヒバ林のふもとまで牛滝林道(森林鉄道)が昭和24年に敷設されたのに、ヒバ林からは1本のヒバも伐採せずに昭和37年に廃止されているという歴然たる事実です。このことを知ったとき、私はこのヒバ林の係争には相当破廉恥な裏があると確信しました。それまでは林野庁(営林署)という役所が裁判を有利に運ぶために公文書を偽造したと決めつけるのをいささか躊躇していたのですが、そうでないと辻褄が合わないと確信ができた次第です。後はその裏付け証拠をどうして取るかという問題となったわけです。


以上が10月20日編




























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