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私の一言   MY SHORT TALK
 
 物部康雄   YASUO MONOBE  
  ちょっと気分と角度を変えて原発問題を考えてみる


15.オリンパス問題と
   監査法人

2011/11/10




14.内容証明郵便は
   合憲か?

2011/09/28




13.無罪判決
  
2011/09/14



12.内閣の記者会見は
   バラエティ番組?

2011/09/12




11.首相が変わって
   何がどう悪い?

2011/09/01



10.風評被害と
  マーケットの力

2011/08/01




9.裁判員は素人か?

2011/06/30




8.原発の安全性と
  マーケット機能

2011/06/09




7.昔の方が、まだ、
  ましだった?

2011/06/02




6.ちょっと気分と角度を
  変えて原発問題を考
  えてみる

2011/05/19



5.科学的な地震予知?

2011/04/25




4.(福島)原発事故と
  賠償責任

2011/04/18




3.地震で思い出した
  祖母の話

2011/03/28



2.103歳のジャッジ 

2011/02/02







地震が起き、津波の被害が伝えられた時、東北の方には悪いが、『原発事故さえなければ・・』と、大渋滞の中を裏道に入り自宅にたどり着く車の中で思ったものである。その時から覚悟はしていたが、その通り悪い結果となりつつある。

技術的なことは素人だし、あれこれ言えない。また、言う気にもなれない。ただし、小手先の技術論ではなく、もっと、基本的なものの捉え方で反省すべき点が多くあるように思う。自分自身の反省も踏まえ、少し考えてみたい。

まず、最近は、自然エネルギーと原子力を対比させて考えているが、これも、少し視点を変えるとおかしなことである。そもそも、地球は太陽の周りを回る惑星であり、地球内部のマントルのようなエネルギーと月の引力を別にすれば、地表のものは全て太陽の光エネルギーの恩恵を受けて作られているといっていいはずである。石炭や石油といったもの、川や海やその流れ、風、そうしたものは、全て太陽の光エネルギーがその源泉である。そして、そのエネルギーは、正に、原発そのものから生じている。

と言うことは、自然エネルギーと言っているものは、実際には全て太陽という原発が気の遠くなるような時間とこれまた気の遠くなるような複雑なプロセスを介して、人間や他の生物が安全に利用できるように提供してくれているものなのである。それほどの安全策を講じて提供されたものを、まるで自然に生まれたかのように『自然エネルギー』と呼ぶのは、私には、抵抗がある。少なくとも、その根っこは同一の核エネルギーであることを認識すべきであろう。そうすれば、太陽の小型版を突然に自分たちの住むところに築くことがどれほど生意気な行為か、反省の気持ちも持ちやすくなるように思われる。

もう一つ、安全論議がある。私は、この手のことを全く信用していない。それは技術的と言うより、ちょっと思索的なもの哲学に近いものである。実は、若いころに、ほんの少しだけ、数学者になりたい、と思ったことがあり、その所為か、その後も、気分が落ち込むと数学に関する書物を読んで元気を出すようにしている。もちろん、数学そのものを知ろうとするよりそれが指し示す何かを知ろうとしているだけであるが。そうした中で、気になるのが、ゲーデルという人が提唱し、数学界では確立した考えである『不完全性』の原理である。間違っていると困るが、その基本は、約束事を基礎とする数学でさえ、そこからでるもの全てを完全に証明することはできず、常に知られざる真理が存在するという、悔しい事実であり、言うなれば全てを知ろうとしてもそれは原理的に不可能であるという恐ろしい真理である。

となると、全てを知ったつもりでないと安全性は宣言できないわけであるから、それが論理的に不可能であるなら、完全な安全性も所詮はないものねだりになるはずなのである。まあ、ここまで大げさに普段からものを考えるのもどうかとは思うが、原子力のような極めて危険な領域あるいは相当に究極的な応用物理の領域に入り込む場合には、このような視点から物事を見ること、謙虚さ、も必要になると思われる。ところで、話は少し飛んでしまうが、物理学者が宇宙や物質の究極的な真理にあと一歩で到達するかのごとき発言をするのを聞くたびに、『それは、ありえないはずだよ』と私はつぶやいている。

今回の事故で飛び交っている「想定外」なる言葉は、単に、「見通しが甘かった」と言うに過ぎないが、本質的には、我々は想定外の事象から逃れられない運命にあるということは、普段の生活ではともかく、時に覚えておくべきことと思われる。ニュートンが、世間の称賛とは別に、『自分は、目の前に横たわる真理の大海を見ずに、浜辺で珍しい石を見つけては喜んでいる子供のようなもの』と言い切った眼力には、敬服せざるを得ない。ほとんど歴史上一番と評してもよいであろう者ですら、あるいはそうであるからこそ、それだけの謙虚さを持ち合わせているのである。 我々凡人が、小手先の技術・知識で調子に乗っていては、罰を受けるはずである。
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