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私の一言   MY SHORT TALK
 
 物部康雄   YASUO MONOBE  
  無罪判決


15.オリンパス問題と
   監査法人

2011/11/10




14.内容証明郵便は
   合憲か?

2011/09/28




13.無罪判決
  
2011/09/14



12.内閣の記者会見は
   バラエティ番組?

2011/09/12




11.首相が変わって
  何がどう悪い?

2011/09/01




10.風評被害と

  マーケットの力

2011/08/01




9.裁判員は素人か?

2011/06/30



8.原発の安全性と
  マーケット機能

2011/06/09




7.昔の方が、まだ、
  ましだった?

2011/06/02




6.ちょっと気分と角度を
  変えて原発問題を考
  えてみる

2011/05/19




5.科学的な地震予知?

2011/04/25




4.(福島)原発事故と
  賠償責任

2011/04/18




3.地震で思い出した
  祖母の話

2011/03/28



2.103歳のジャッジ 

2011/02/02







最近、いいのか悪いのかは別にして、日本の刑事裁判でも、『無罪』判決が言い渡される例が増えてきている。ところで、この無罪という表現に、私は以前から違和感を持っていたので、最近のいささかはやりのこの言葉につき、一言述べることにしたい。

刑事裁判の有罪判決は、当然だが、「(まず、あるいは、絶対に)間違いない」という確信があってはじめてなされるべきものというのが大原則である。人間のやることだから必ず間違いはあるのだが、できる限りそれを避けるための知恵から出た原則のはずである。したがって、本来、疑わしきは罰せずであり、「多分、犯人だろう」と思っても、『間違いない』との確信が得られなければ、罪に問えないのである。

で、ここで、「無罪」という言葉の使い方が、私には、引っ掛ってくるわけである。本当に無罪の人もいるであろうし、罪人なのだが証拠が不十分という被告人もいるであろう。その他にもいろんな状況があって当然であり、それをひとくくりにして『無罪』と言い渡すのは、どうであろうか?

私などは、非常に心情・感情・直感で動く人間であるから、裁判官が、「無罪と言うのには抵抗があるが、証拠不十分ということで釈放するのなら納得できる」と考えるようなケースもあり得るのでは、と心配してしまう。確か、映画を見る限り、英米の法廷では、日本でいう無罪判決は、not guilty、と言われているはずであり、正に、「罪は問えない」というだけのことである。『無罪』という言葉には、単に罪は問えないという以上に積極的な意味合いがあり、『潔白』、innocent、というニュアンスが含まれている気がする。時にマスコミは、丁寧に、『無実が証明された』といった表現すら使う。もちろんそういう場合もあるであろうが、少なくとも、そこまでのことは本来の刑事裁判の判断の対象ではない。

昔は、日本の刑事裁判は99.9パーセント有罪との評判であり、それが日本の検察・警察のほめ言葉のように思われていたようだが、これも、よく分からない話である。もし、99.9パーセント有罪に持ち込める確信のある事件しか起訴していなかったということであれば、ことによるとそれはそれで問題なのかもしれない。98パーセントや97パーセントの確信のものは起訴しない方がいいのか、それともそこから先の判断は裁判官・裁判員に任せるべきことなのかは、検討を要する問題のはずであり、無罪が多いからといって一概に検察・警察の能力が悪いということにはならないし、その逆の場合のこともある。 私は、個人的には、人が人を裁くものである以上、ある程度の割合で『罪に問えない』人が訴追されるのは、本来はやむを得ないことなのではと思っている。その方が制度としては、自然な姿だと思われるのである。

言葉の違いがどのような実際上の意味を持つかは分からないが、この一言でも時々述べるように、どこか変なことがほとんど疑問を持たれずに流れていくのが、私は、どうも、気に食わない。
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